すばらしい教え

 気と心 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10
 言葉  11 12 13 14 15

天風先生

気と心 01

 形のある宇宙ができる前に、すでに、形のない宇宙があったのだ、といったが、形のない宇宙とは何か、まず科学的に考えてみよう。この宇宙の中に、我々が感覚できるいろいろな森羅万象がある。この森羅万象も、一番初めはいったい、何からできたんだろうということを、つきつめて考えるという方法で考えてみよう。
 鶏は卵から出来、卵は鶏が産む。つきつめていかない限りは、いつまで経っても堂々巡りである。哲学的思想でつきつめていくと、一番初めは卵でもないし、鶏でもないということがわかる。
 いちばん根本は何か、というと、ただ一つの実在から産み出されたものである。その実在とは何であろうか。
 哲学では、“根本的本源実在”と呼び、科学では、これを、極微粒子的なものとして、“エーテル”と名づけている。
 哲学の方では、人間の感覚では、捉えることの出来ない、茫漠たる、見えざる、一つの“気”であるといっている。
 これを中国では“霊気”と呼び、日本の儒学者は“正気”といっている。中国の宋代の儒教哲学では、これを“先天の一気”といっている。そして電気や、磁気や、その他の火気とか、水蒸気とかいうものは、“後天の気”といっている。
 いずれにしても、このただ一つのエネルギーを産み出す元が、宇宙を作り出したのである。
 だから、哲学的な論理からいくと、そのエネルギーを産み出す元が、今あるような宇宙の鋳型をなしていたのだ、ということが考えられるのである。
 とかく、一番いけないのは、我々の五感が感覚しないものは、存在していても、ない、と思うことである。空気や電波は、誰も感覚しない。けれども、ないのだろうか。ないと否定できるだろうか。もちろん、否定できないであろう。否定しない理由は何か、と問われたら、あなた方は、何と答えますか。必ず、第二義的な言葉を用いて、「あるから人間が生きていられるじゃないか。あらゆる生物が生きていられるじゃないか・・・・・」と、「電気があるから、ラジオが聞かれ、電球が光るんじゃないか・・・・・」というように、第二義的な結果現象を元にして、これを証明しようとデータに頼るが、それは、あくまで、第二義的な証明なのである。・・・(中略)
 これを、天風哲学は、“宇宙本体”あるいは、“宇宙霊”という。これを指していうのなら、神でも仏でもいい。が、しかし、あなた方が、今まで、神や仏と呼んでいた同じ気分で、この宇宙本源を、考えては駄目である。
 とにかく、たった一つの、宇宙の本体が産み出したものが、森羅万象である。したがって、森羅万象を包含している宇宙も哲学的に究極していくと、現象界に存在する一切の物質もこの宇宙本体から産み出されたものなのである。と同時に、科学的に考えてみると、一切の森羅万象と称するものは、宇宙本体のエネルギーの分派によって創られている。形が、つまり目の前にあるというのは、宇宙本体の力が、まだ籠っているからである。その力が抜けてしまえば、形を現象界から消して、根源要素に還元しなければならない。・・・(中略)
 そして、ここが一番大事なことであるが、特に忘れてはならないことは、人間は、万物の中で、この宇宙本体の分派分量をもっとも多く頂戴しているということである。人間以外の生物が真似することの出来ないほど、まことに多くの分量をいただいている。このことが、人間が霊長といわれるゆえんなのである。

          


Sponsor Ads

Copyright ® 2007 Cosmic.Ink

Home     Top      Contacts     Next