すばらしい教え

 気と心 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10
 言葉  11 12 13 14 15
 心と精神のページ ⇒ 
http://kokoro.uresi.org/

天風先生

来歴

1876年中村天風(本名三郎)は大蔵省初代抄紙局長の中村祐興の息子として現東京都北区王子で出生。
父祐興は旧柳川藩士で、中村家は柳川藩藩主である立花家と遠縁にあたる。
王子村(現北区王子)や本郷で幼少を過ごした後、福岡市の親戚の家に預けられ、福岡屈指の名門校、修猷館中学(現修猷館高校)に入学。
幼少期より官舎の近くに住んでいた英国人に語学を習い、修猷館ではオール英語の授業を行っていたため語学に堪能になる。
柔道部のエースとして文武両道の活躍をするが、練習試合に惨敗した熊本済々黌生に闇討ちされ、その復讐を行う過程で相手を刺殺、正当防衛で無罪となるも、修猷館を退学になる。その頃、玄洋社頭山満の知遇を得る。

16歳の時に頭山満の紹介で陸軍の軍事探偵(特殊工作員)となり、満州へ赴く。

明治37年3月21日コサック兵にとらわれた三郎は銃殺刑に処せられるところであったが、ギリギリの瞬間に部下に救出された。
113名いた軍事探偵のうち日露戦争から生還したわずか9名のうちの一人。
日露戦争後30歳にして、奔馬性結核を発病。

33歳の時、肺結核を患う。医者だった兄のつてで結核の世界的権威に診てもらったが、もはや施す手はないといわれた。病床で弱くなった心に疑問を持ち様々な本を読みあさるがただ一つアメリカの哲学書S・マーデン博士の書に感銘し博士に会うため、アメリカへ密航する。途中アメリカでは自らの病の原因を尋ねてコロンビア大学自律神経系の研究を行ったとされる。
イギリスに渡った後、フランスでは大女優サラ・ベルナールの家に居候し、各界の著名人に会う機会を得るが、いずれも納得の行く答えを得ることができなかった。生きるための希望を求めて海を渡り、行きついた果てに手にしたのは絶望であった。

1911年日本への帰国の途上、運河が一時通行不能となってアレキサンドリア港に一週間ほど停泊を余儀なくされた。フィリピン人の缶焚人夫に誘われ、ピラミッド見物に行くことにしたが、カイロのホテルに着いた翌日大吐血をしベッドに横たわっていたが、ホテルのボーイに「何か食べなければ」といわれ、体をひきずるようにして食堂に足を運んだ。そこでインドのヨガの聖人、カリアッパ師と邂逅。「おまえは、右の肺に大きな病を持っている。このまま船旅を続けると、日本へ自分の墓を掘りに帰るようなものだ。おまえはすべてを試みて絶望しているようだが、まだ気づいていない重要なことが一つだけある。それに気づけば死なないですむ。どうだ、わたしといっしょに来ないか。」といわれ、即座に「行きます。」と答えた。

そのまま弟子入りし、ヒマラヤ第三の高峰、カンチェンジュンガのふもとで2年半修行を行う。

1913年日本へ帰国途上、中国で孫文の第二次辛亥革命に「中華民国最高顧問」として協力。
     その謝礼として財産を得た。東京実業貯蔵銀行頭取などを歴任、実業界で活躍する。

1919年突然感じるところがあり、一切の社会的身分、財産を処分し、「統一哲医学会」を創設。
     街頭にて教えを説き始める。  

明治・大正・昭和の日本を代表するそうそうたる人たちが師と仰ぎ、あるいは薫陶を受けた。

1940年「統一哲医学会」を「天風会」に改称。

1962年国の認可により「財団法人天風会」となる。

1968年12月1日帰霊。享年92。




Sponsor Ads

Copyright ® 2007 Cosmic.Ink

Home     Top      Contacts     Next